全年全月20日の投稿[7件]
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ひとりごと
覚えのある気持ち悪さがヤバい
2024年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2024年6月20日
6月19日
予想最高気温が高めだったので、なるべく早く外へ出したい&出るついでに家にGムエンダーを撒きたいと思っていたので、洗濯物をスキップして公園へ。早めに出るつもりが10時になってしまい、既にけっこう暑かった。
45分ほど遊ばせて帰宅。盛大に換気をして掃除をした。
12時過ぎに子の昼食を済ませ、自分の昼食を終わらせる。けっこう時間かかってしまったが、子を何とか寝落ちさせて、やっと人心地つけた。
晩御飯は焼きそば。夕飯後に夫が用事があったため、片付け等が早く済んだのは良かったものの、夫が2階から降りてきたら私が急速にバテてしまった。
6月20日
すごくバテぎみ。起きるのも辛かったが朝御飯を何とか用意し、10時前後に何とか買い出しに出る。曇り空で気温があまり高くなかったのも幸いした。それでもしんどく何度か目が回りそうな心地がした。
何だかんだ11時半頃に帰宅し、間を置かずに公園へ向かう。しんどかったが、せっかく気温も気候もほどよい上、梅雨も近いので長く歩かせたほうがいいだろうと思い、1時間外遊びをさせた。
ヨーグルトを買い忘れたので再度買い出しに行く。ちゃんと家に帰り着いた頃には13時になっていた。子の昼食を済ませたあと、自分が昼食にありつく頃には14時過ぎになっていた。朝起きてからここまでほぼ無休憩である。
子に寝落ちを期待したが中々寝ない。私も何故かひどくバテているためさすがに横になる。併せて寝てくれないかな……という願いも空しく、子が寝ないので自分も寝れず、16時過ぎにとうとう根負けしてベビーベッドに入れるとスムーズに寝た。いや絶対疲れてると思ってたよ、私は。
自分もしばしうつらうつらして17時過ぎにのそのそと家事を再開。
晩御飯は刺身と焼き野菜。今日も夕飯後夫が用事で2階に上がったので片付けが早く済んだ。
予想最高気温が高めだったので、なるべく早く外へ出したい&出るついでに家にGムエンダーを撒きたいと思っていたので、洗濯物をスキップして公園へ。早めに出るつもりが10時になってしまい、既にけっこう暑かった。
45分ほど遊ばせて帰宅。盛大に換気をして掃除をした。
12時過ぎに子の昼食を済ませ、自分の昼食を終わらせる。けっこう時間かかってしまったが、子を何とか寝落ちさせて、やっと人心地つけた。
晩御飯は焼きそば。夕飯後に夫が用事があったため、片付け等が早く済んだのは良かったものの、夫が2階から降りてきたら私が急速にバテてしまった。
6月20日
すごくバテぎみ。起きるのも辛かったが朝御飯を何とか用意し、10時前後に何とか買い出しに出る。曇り空で気温があまり高くなかったのも幸いした。それでもしんどく何度か目が回りそうな心地がした。
何だかんだ11時半頃に帰宅し、間を置かずに公園へ向かう。しんどかったが、せっかく気温も気候もほどよい上、梅雨も近いので長く歩かせたほうがいいだろうと思い、1時間外遊びをさせた。
ヨーグルトを買い忘れたので再度買い出しに行く。ちゃんと家に帰り着いた頃には13時になっていた。子の昼食を済ませたあと、自分が昼食にありつく頃には14時過ぎになっていた。朝起きてからここまでほぼ無休憩である。
子に寝落ちを期待したが中々寝ない。私も何故かひどくバテているためさすがに横になる。併せて寝てくれないかな……という願いも空しく、子が寝ないので自分も寝れず、16時過ぎにとうとう根負けしてベビーベッドに入れるとスムーズに寝た。いや絶対疲れてると思ってたよ、私は。
自分もしばしうつらうつらして17時過ぎにのそのそと家事を再開。
晩御飯は刺身と焼き野菜。今日も夕飯後夫が用事で2階に上がったので片付けが早く済んだ。
2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2024年2月20日
19日月曜は友人やフォロワーさんと通話したりしてたな。一日中雨だったから家に籠っていた。デジタル色塗り分からんと呻いてた記憶。
一週間雨だと覚悟を決めていたが、晴れ間が覗いたので洗濯物が干せて嬉しかった。一週間以内に切れそうだった子のオムツも買いに行けた。サボりたかったけど雨の日多そうだから、何とか気力を出した。
今週は、天気予報を見る限り雨がちだが、いわゆる菜種梅雨というやつだろうか。
離乳食時、私の手からではなく、皿からスプーンを持っていって食べられるようになった。スプーンで食べ物をすくうことはまだできないけれど、ちょっとした進歩。
一週間雨だと覚悟を決めていたが、晴れ間が覗いたので洗濯物が干せて嬉しかった。一週間以内に切れそうだった子のオムツも買いに行けた。サボりたかったけど雨の日多そうだから、何とか気力を出した。
今週は、天気予報を見る限り雨がちだが、いわゆる菜種梅雨というやつだろうか。
離乳食時、私の手からではなく、皿からスプーンを持っていって食べられるようになった。スプーンで食べ物をすくうことはまだできないけれど、ちょっとした進歩。
8月前半は、悪阻の吐き気や目眩と戦う日々だった。前回よりマシだが、前回の経験的に子の世話が儘ならなすぎる恐れがあったため先週頭から実母に来てもらっていた。私が寝たきりで使い物にならなかったため、夫と実母と子が頑張ってくれていた。
義父の送迎で産婦人科へ。体重、へたすると4~5kg落ちてたかも。
胎児の心拍確認できず。
「流産でしょうね」と聞いて次に思ったのは、「早く家に帰って第一子に会いたい」だった。
第一子が無事に胎内で育って、産まれてくれたのは本当に奇跡だったんだなあと思った。
8月16日
ほぼ記憶がない。
8月17日
夫同伴で産婦人科。流産確定。
20日に処置。
8月18~19日
17日から開催されていたPWCSでかなり気が紛れた。助かった。準決勝のFENNEL vs Onic Riseは本当に素晴らしい試合だった。PWCSが無かったら鬱々とした週末を過ごしたことだろう。
8月20日
流産の手術日。同意書を家に忘れてかなり気落ちする。一子が帝王切開なので手術の前準備?が必要だったのだけど、痛くて辛かった。手術自体は全身麻酔でぽやぽやしてるうちに終わってよかった。けど、微妙に意識あったな……。
振り返ってみて、流産自体は辛かった。真剣に「何の痛みも知らない少女時代」に戻りたいと思った。体の内側に傷を負うこと、これが女になるということなのか……?とか考えた。未知の複雑な感慨だった。そもそも「何の痛みも知らない」だなんて少女時代に対する冒涜だし、いま少女時代を過ごす人たちを馬鹿にした感覚に他ならないのだが、それでも、15日に「流産」という言葉を聞いてから暫くは、そういうことを考えていた。
結果的に、不謹慎かもしれないけれど、今いるわが子が比較的元気に産まれたことの“すごみ”を改めて痛感した出来事となった。わが子についてうっすら引っ掛かっていた、些少な、あらゆることの全てが馬鹿らしくなった。元気に笑ってくれてたらそれでいいわ。
自分って、痛みを知らないと分からない人間だなとつくづく思った。