2024年8月20日 8月15日8月前半は、悪阻の吐き気や目眩と戦う日々だった。前回よりマシだが、前回の経験的に子の世話が儘ならなすぎる恐れがあったため先週頭から実母に来てもらっていた。私が寝たきりで使い物にならなかったため、夫と実母と子が頑張ってくれていた。義父の送迎で産婦人科へ。体重、へたすると4~5kg落ちてたかも。胎児の心拍確認できず。「流産でしょうね」と聞いて次に思ったのは、「早く家に帰って第一子に会いたい」だった。第一子が無事に胎内で育って、産まれてくれたのは本当に奇跡だったんだなあと思った。8月16日ほぼ記憶がない。8月17日夫同伴で産婦人科。流産確定。20日に処置。8月18~19日17日から開催されていたPWCSでかなり気が紛れた。助かった。準決勝のFENNEL vs Onic Riseは本当に素晴らしい試合だった。PWCSが無かったら鬱々とした週末を過ごしたことだろう。8月20日流産の手術日。同意書を家に忘れてかなり気落ちする。一子が帝王切開なので手術の前準備?が必要だったのだけど、痛くて辛かった。手術自体は全身麻酔でぽやぽやしてるうちに終わってよかった。けど、微妙に意識あったな……。振り返ってみて、流産自体は辛かった。真剣に「何の痛みも知らない少女時代」に戻りたいと思った。体の内側に傷を負うこと、これが女になるということなのか……?とか考えた。未知の複雑な感慨だった。そもそも「何の痛みも知らない」だなんて少女時代に対する冒涜だし、いま少女時代を過ごす人たちを馬鹿にした感覚に他ならないのだが、それでも、15日に「流産」という言葉を聞いてから暫くは、そういうことを考えていた。結果的に、不謹慎かもしれないけれど、今いるわが子が比較的元気に産まれたことの“すごみ”を改めて痛感した出来事となった。わが子についてうっすら引っ掛かっていた、些少な、あらゆることの全てが馬鹿らしくなった。元気に笑ってくれてたらそれでいいわ。自分って、痛みを知らないと分からない人間だなとつくづく思った。 2024.8.20(Tue) 13:22 日記
ひとりごと 生来の属性や人生における選択を肯定されたいがために比較したり優位性を見出だしたり対立要素を貶めたりする人、多数派になりたい人、多いなあなお決して他人事ではない 2024.8.13(Tue) 08:56 小声