蝋梅書屋
Wintersweet Den

日々思ったこと、作品に触れて考えたこと等の整理・備忘

2025年3月の投稿5件]

2025年3月11日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

2025年3月10日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

2025年3月4日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

ひとりごと
原則として、他者に物理的な害を及ぼすものでなければ、いかなる属性に対しても、不当な抑圧や侮蔑、誹謗中傷は赦されない。

小声

ひとりごと
「そんな価値観は時代遅れ」
市民に牙を剥かない権力機構も、戦争に見舞われぬ現状も、女性の権利も、少数者への配慮も、多くの犠牲の上に成り立っている。そうでないことが「時代遅れ」というより、常に薄氷の上にあるものだと思う。

厳しい事実だが、自由かつ多様な生き方とは、経済力、あるいは広義狭義問わず政治抜きには成立しづらい、と考える。そして経済力を持たぬ市民たちが、ある程度まとまることで政治の場で発言権を持てる政治形態が、民主主義なのではないだろうか。

小声

ひとりごと
SNSに書くと面倒そうだからこちらで。

❝選択として❞子どもを産む気はないという友人に対して感じるモヤモヤが何となく分かった。雑に言うと、それでいて、友人たちから政治や経済の話を聞かないからモヤモヤするのだと思う。という小声です。

言わないことと考えていないことはイコールではないことは当然として。

子どもを持つ以上、親は子どもの将来に多少なり責任を意識する。もちろんそうでない人もいる。しかし、原則として人は本人のために生まれてくるとは言え、子どもとは、将来の社会を構成員であり、大なり小なり何らかの形で寄与する存在ではあることは間違いない。
自分のために楽しく生きることを否定しない。妊娠・出産を選ばない人生は肯定されるべきだ。でも、それなら片手間でいいから、長期的かつ持続的な社会について考える姿勢だけは、見せてほしいと思う。しかしながら現実として投票率には反映されず、あまつさえ「子持ち様」というしょうもない非難が跋扈している。
個人主義は民主主義体制下のほうが絶対的に生き延びやすい。民主主義は人民の参政権こそが要である。個人主義的人生を謳歌するならば、民主主義体制下の政治に責任を負うべき、とまで言ってもいい。議員に立候補しろとまでは言わない。政治に無関心であってはほしくないし、信仰など特殊な理由がない限り選挙には行ってほしい。国家にとって少子化は解消すべき喫緊の課題であり、国家としては間違いなく、結婚→出産のレールをより多く引きたいはずである。そのレールは選ばないとする人が増えた若い世代こそ、政治参加に対する意識は高くあってほしいし、投票率も高くあるべきでは……と願う。
我々が老いた時、何らかのリスクを背負っている可能性が高い我々を支えるのは、今まさに子どもである人たちだ。結婚や出産を選ばないという友人や赤の他人を私は肯定したい。それは私自身、有り得たルートだと思うから。けれど同じくらい「将来の社会や政治について、どう考えているの?」と訊きたかったのだと思う。

このような考え方は、かつて日記に書いた、性的マイノリティに対して「わきまえろ」と発言した友人と本当にギリギリ紙一重だろうな……という感覚もある。
わきまえるべきではない。ただ、より多様な生き方が肯定される将来社会の実現のため、一緒に考えて、戦ってほしいと思う。少子化問題を考えるとき、女性の権利ってホント儚いものだと最近思う。産まない❝選択❞が肯定される社会の実現って、恐らく、思われている以上に難しい。というか、国家社会の都合に噛み合わない個人の自由って誰かが戦わないと得られないとも思うから……。女に産まれるのって結構だるい。国家の都合と女の身体に基本負担しかかけない妊娠出産が噛み合ってんのクソだるい。

自分の子が性的マイノリティである可能性や、しょうがいを持っていたり、何らかの病に見舞われる可能性もある。将来、自分の子の選択が、どうあれ否定されない社会であってほしい。

現状日本における女性の人権状況改善や、少数者の境遇が政治の課題として上がるようになったのは、動かしがたい属性を持ち、そのために社会から何らかの抑圧や不利益を被ってきた人たちが、勇気を持って声を上げてきた成果だと思う。こうした人たちに「わきまえろ」なぞ言うのを含め、それらの運動史を軽んじる言動も、私は批判したい。

こう宣う以上は、私も(思想が異なる)他人の政治・経済の話を、うまく、ちゃんと聴けるようにならねばならず、たいへん前途多難である。

小声

■蝉野芥子

月影の鎖とpkmnが大好き。好きなキャラを軸に乙女ゲーム的関係性を思索するのが好き。家族(二親等内)も大事。lit.link