全年全月5日の投稿[3件]
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2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2024年2月5日
終日、しっかり雨。
東海の雨はしとしと降るなあと思う。九州の雨ははげしい。バケツをひっくり返したような雨が多い。
日曜に眠れなかったダメージを引きずっており、体はとかく重かった。それでも何とか家事はこなした。
疲れているとわが子への接し方が難しい。が、子はまだ1歳ちょいなので、イライラしてもだいたい私が悪いのである。これは肝に銘じたい。悪いのが私とハッキリしている分、単純でもある。
Twitterのフォロワーさんと通話した。
TAKUYO作品の話って、自分の身の回りだと作品を知らない友人が多いから、知ってる人相手に話をするの、ありがたいことながら慣れないな……と思った笑
取り急ぎながらナビを設置できたので、てがろぐの改修作業は一旦区切りをつけようかな。
あとサムレムコラボが終わらない。本当に間に合うのだろうか。
東海の雨はしとしと降るなあと思う。九州の雨ははげしい。バケツをひっくり返したような雨が多い。
日曜に眠れなかったダメージを引きずっており、体はとかく重かった。それでも何とか家事はこなした。
疲れているとわが子への接し方が難しい。が、子はまだ1歳ちょいなので、イライラしてもだいたい私が悪いのである。これは肝に銘じたい。悪いのが私とハッキリしている分、単純でもある。
Twitterのフォロワーさんと通話した。
TAKUYO作品の話って、自分の身の回りだと作品を知らない友人が多いから、知ってる人相手に話をするの、ありがたいことながら慣れないな……と思った笑
取り急ぎながらナビを設置できたので、てがろぐの改修作業は一旦区切りをつけようかな。
あとサムレムコラボが終わらない。本当に間に合うのだろうか。
2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2024年1月5日
朝早く起きてユナイトをした。ようやくマスターに上がれた。リーフィアで昇格できたので嬉しかったな。
午後、久方ぶりに服を買いに行った。顔フレッシュ骨格ウェーブ、服選ぶの難しくない?フレッシュのわりにカジュアルなの似合わない気がするし……。
祈るような気持ちで飛行機に搭乗し、ぶじ名古屋に戻れた。同乗した周囲の子どもたちの様子もさまざまで、降ろしてと絶叫する子もいれば、非常口を確認・復習する子もいて、2日の事件の影響を思わせた。
わが子、3回ほど短く愚図ったものの概ね静かだった。えらいというのも少し違う気もするが、私個人としてはありがとうしか言えない。
午後、久方ぶりに服を買いに行った。顔フレッシュ骨格ウェーブ、服選ぶの難しくない?フレッシュのわりにカジュアルなの似合わない気がするし……。
祈るような気持ちで飛行機に搭乗し、ぶじ名古屋に戻れた。同乗した周囲の子どもたちの様子もさまざまで、降ろしてと絶叫する子もいれば、非常口を確認・復習する子もいて、2日の事件の影響を思わせた。
わが子、3回ほど短く愚図ったものの概ね静かだった。えらいというのも少し違う気もするが、私個人としてはありがとうしか言えない。
子は相変わらず、外出時は大人しく親よりえらいなと思う。道すがら、スマホを手で引っ張るなどさせて子と遊んでいたら、不意にスマホがおでこに当たったのか、大人しくしている限界だったのか、泣き出してしまった。夫が抱き上げた拍子に、電車の網棚に頭をぶつけてしまい本当にあわれだった。
義姉一家も元気そうで安心した。義姉は本当に明るくて素敵な方で夫がほんの少しシスコンぎみなのも解せる。小学生の息子さんと娘さんもそれぞれ明るく素直でいい子たちだ。あと義姉の声かけがいちいち素晴らしい。娘さんの化粧意欲は既に私を上回っている。将来有望。
娘さんが子によく構おうとしてくれるものの、子は初めての遠出に慣れないお家訪問でかなり腰が引けており、緊張が解けるのにも時間がかかった。帰宅後の様子を鑑みるに緊張はついぞ解けなかったのかもしれない。
雨が降っていて近場の花見に行けなかったのは残念だが……。雨が降る前、夫は息子さんと外で遊んでいた。筋肉痛にならないかうっすら心配した。
姉一家にはとても良くしてもらった。楽しかった。
帰りに立ち寄ったスーパーでトンカツを買って帰った。ポケモンのEUICを観戦しながら食べた。美味しかった。
先日、自分の幼少期を振り返っていて思ったことがある。
しょうがないことなのだが、父方の親戚とは何とも言えない微妙な関係性である。仲が悪すぎるということもないが、良く……もない。
叔父は私の父に対してかなりコンプレックスを拗らせており、それがその妻(叔母)にも伝染しているのは少なからず察された。叔母の態度は最も露骨だった。話していて目が合わなかったことがたくさんある。
母はあまり父の兄弟家族に歓迎されていなかったし、母も彼らに辟易していた。幼いながらにこれを感じ取っていた。従兄姉たちがみな年長なのもあり、私は父方の親戚一同に対してつねに壁を作ってきたと思う。同時に“承認されていない”ような感覚を持ってきた。たぶん、これが私の対人感覚に今なお強く影響し続けている。
故に、親戚づきあいというのは、私の子にとってとても大事である。恐らく子の対人感覚の基礎となりうる。幸い義実家にはとても恵まれた。この繋がりは大事にしていきたい。