蝋梅書屋
Wintersweet Den

日々思ったこと、作品に触れて考えたこと等の整理・備忘

No.257

遠ざかりゆく春、白花香る(時オラ)
#オランピアソワレ

 三月十四日。岬の家の庭に植えられた桃の木が花満開の時節。
 時貞の誕生日祝いがあらかた済み、ケーキもお腹におさめて満足げな白夜の前に、花束が差し出された。自分に花束が寄越されるとは予想していなかったのか、オランピアの美しい瞳がまるく瞠かれる。

「と、時貞? これは……?」
「『バレンタインデー』、薄荷ショコラタルトをくれたでしょ。今日は『日本』では『ホワイトデー』と言って、『バレンタイン』のお返しをする日なんだって」

 オランピア手作りの薄荷ショコラタルトの味をあわく反芻しながら、早春に咲く花々をめいっぱい束ねてもらった。

「―― ありがとう。『バレンタイン』の薄荷ショコラタルト、本当に、本当に美味しかった」

 時貞は、万感の思いを込めて、婚約者である愛しい彼女へ感謝の言葉を伝えた。
 大袈裟な話ではなく―― 時貞は、二月十四日からと言わず、彼女と結ばれてから今日に至るまでの日々を、幸せな思いで過ごせたことに心から感謝をしていた。
 寒さを感じると否応なく思い出される。凄惨な戦の始まりを。冬を越えて訪れる春の兆しは、その暖かさとは裏腹に、おのれとふるさとの人々の絶望と死の風景を想起させるものでもあった。
 オランピアの婚約者として初めて迎えた春、慈眼大師から授けられた桃が、爛漫と花をつけるさまを眺めながら、春の訪れとはこのように優しいものであったのか―― と、本来あるべき春の姿を思い出したような感覚を覚えた。
 雪の降った二月十四日。オランピアが贈ってくれた『バレンタイン』の薄荷ショコラタルトも、その凄惨な記憶を少なからず遠ざけるような―― そんな味がした。
 産まれた日とて、『最後』の日々は祝う気にとてもなんてなれなかった。
 かつて、彼女の舞は実際に太陽を喚び起こす尊いものだった。オランピアの一挙一動もまた、あたかも春の暖かさを舞い戻すような、そんなちからがあるのでは、とすら思えた。
 天供島で出逢った、たった一人の【白】の女性。太陽のような心を持つ彼女の、ただひとつの愛を得たことについて、時折、信じがたいような気持ちに襲われるときもある。天供島は天草と似て海に囲まれた土地であるが、窓から見える風景は、やはり異なる。この生は間違いなく死後のものだ。けれど、彼女から与えられる愛も、自分が与える愛も、決して夢ではないのだと、時貞はオランピアと言葉を交わすたびに、触れるたびに、想う。
 凛としていて、愛らしさもある花顔に、彩り豊かな花束はよく映えた。
 時貞は手指を伸ばし、オランピアの前髪を優しくのける。

「オランピア、お姉さん、……白夜。愛してます」

 細い腕に抱かれた花束をつぶさぬよう気をつけながら、その麗しい目元に軽く唇で触れる。
 春の花の香りが鼻腔をくすぐる。かぐわしさに誘われるように―― まろやかな頬に口づける。白い頬がさあっと染まるのが見てとれた。

「……時貞、」

 オランピアの淡い琥珀色の瞳がもの欲しげに潤み、時貞を見上げる。名を呼ぶ声に応える代わりに、時貞はその桃脣を親指でなぞり、自らの脣で触れる。いちど離れて、もういちど深く重ね合わせた。

二次 文章