驟雨情(理めぐ) #月影の鎖 雨が降りだしたと思ったら、瞬く間にざあざあ降りとなった。視界が覚束ない中、傘を片手に歩き回り、理也はやっとの思い彼女の影を見つけ出した。 「めぐみさん」と呼び掛けようとしたところで、思わずぐっと声を堪えた。――驟雨に遭ったとは思えないほど、めぐみはとても楽しげだった。まるで歌うように、彼女はその身を雨にさらしていた。 しとどに雨雫を滴らせ、蒼白い頬に貼り付いた長い髪。すみれ色がいっそう濃く、紫陽花を思わせるほど鮮やかに見えた。薄桃の羽織も、紅い花咲く衣帯も濡れそぼち、その役割を失っていた。 めぐみの瞳がちらと動き、理也のすがたを捉えたようだった。理也は呆気に取られ立ち尽くしていたが、はっと気を取り直す。さすがに、冷えて風邪でも引かれては心配で身が持たない。理也はめぐみの名を呼んだ。「めぐみさん」「理也さん」「傘、持って行かなかったんですか」「ええ、忘れてしまいました」 その唇がうすく微笑む。果たして、本当に忘れたのか? もはや信じがたいけれど、今はどうでもいい。理也は本土から持ち帰った蝙蝠傘に彼女を引き入れようと手を差し伸ばした。 そのとき。すみれの髪と同じ色をした美しい睫毛が目に入った。雨粒が、睫に触れて滴り落ちる。その向こうに碧い湖を思わせる瞳が覗く。ぽたり。止めどなく肌を伝っていく雫が、睫を微かに震わせては、あたかもめぐみの泪のように零れ落ちて、雨に紛れて消える。時としてたった一瞬の光景が、理也の瞳にはひどくゆっくりと映り、流れていった。ごくりと喉が鳴る。胸の奥に熱が蟠る。堪えられない。どうしてだろう――、煽情的だと思った。 込み上げる熱情に突き動かされるまま、理也は女の細い手首をとると、傘に引き入れるなり口付けた。さすがに驚いたのか、めぐみの碧いまなこが見開かれる。 雨に濡れた唇は冷たかったけれど、ほのかな温みが残っていた。微かではあれど、その温みが妙になまめかしく感じられーー理也は手首を掴む力を籠める。うっすらとした喜悦を覚えながら、色の薄い唇を舌と舐めて離す。「さ、とや、さん……」「……いけませんね。すっかり冷え切っているじゃないですか」 雨で色を失くしたはずの頬に、ほんのりと紅が差した。それを見止めた理也は少しだけ満足して、微笑んだ。雨足はいよいよ強くなる。空いた左手でめぐみを抱き寄せる。ひごろ抱き締めると感ぜられる、着物の厚みはまるで無い。「急ぎましょう、ね、うちへ」 そう耳元で囁くとめぐみがふるりと身動いだ。めぐみの手が理也の頬を撫ぜる。濡れて冷たいはずの手に熱を覚えた。湖水藍の瞳の奥に情欲のいろがにじむのを見つけて、理也はふたたび想い女に口づけた。 2023.11.23(Thu) 00:05 二次 文章
雨が降りだしたと思ったら、瞬く間にざあざあ降りとなった。視界が覚束ない中、傘を片手に歩き回り、理也はやっとの思い彼女の影を見つけ出した。
「めぐみさん」と呼び掛けようとしたところで、思わずぐっと声を堪えた。――驟雨に遭ったとは思えないほど、めぐみはとても楽しげだった。まるで歌うように、彼女はその身を雨にさらしていた。
しとどに雨雫を滴らせ、蒼白い頬に貼り付いた長い髪。すみれ色がいっそう濃く、紫陽花を思わせるほど鮮やかに見えた。薄桃の羽織も、紅い花咲く衣帯も濡れそぼち、その役割を失っていた。
めぐみの瞳がちらと動き、理也のすがたを捉えたようだった。理也は呆気に取られ立ち尽くしていたが、はっと気を取り直す。さすがに、冷えて風邪でも引かれては心配で身が持たない。理也はめぐみの名を呼んだ。
「めぐみさん」
「理也さん」
「傘、持って行かなかったんですか」
「ええ、忘れてしまいました」
その唇がうすく微笑む。果たして、本当に忘れたのか? もはや信じがたいけれど、今はどうでもいい。理也は本土から持ち帰った蝙蝠傘に彼女を引き入れようと手を差し伸ばした。
そのとき。すみれの髪と同じ色をした美しい睫毛が目に入った。雨粒が、睫に触れて滴り落ちる。その向こうに碧い湖を思わせる瞳が覗く。ぽたり。止めどなく肌を伝っていく雫が、睫を微かに震わせては、あたかもめぐみの泪のように零れ落ちて、雨に紛れて消える。時としてたった一瞬の光景が、理也の瞳にはひどくゆっくりと映り、流れていった。ごくりと喉が鳴る。胸の奥に熱が蟠る。堪えられない。どうしてだろう――、煽情的だと思った。
込み上げる熱情に突き動かされるまま、理也は女の細い手首をとると、傘に引き入れるなり口付けた。さすがに驚いたのか、めぐみの碧いまなこが見開かれる。
雨に濡れた唇は冷たかったけれど、ほのかな温みが残っていた。微かではあれど、その温みが妙になまめかしく感じられーー理也は手首を掴む力を籠める。うっすらとした喜悦を覚えながら、色の薄い唇を舌と舐めて離す。
「さ、とや、さん……」
「……いけませんね。すっかり冷え切っているじゃないですか」
雨で色を失くしたはずの頬に、ほんのりと紅が差した。それを見止めた理也は少しだけ満足して、微笑んだ。雨足はいよいよ強くなる。空いた左手でめぐみを抱き寄せる。ひごろ抱き締めると感ぜられる、着物の厚みはまるで無い。
「急ぎましょう、ね、うちへ」
そう耳元で囁くとめぐみがふるりと身動いだ。めぐみの手が理也の頬を撫ぜる。濡れて冷たいはずの手に熱を覚えた。湖水藍の瞳の奥に情欲のいろがにじむのを見つけて、理也はふたたび想い女に口づけた。