蝋梅書屋
Wintersweet Den

日々思ったこと、作品に触れて考えたこと等の整理・備忘

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遠ざかりゆく春、白花香る(時オラ)
#オランピアソワレ

 三月十四日。岬の家の庭に植えられた桃の木が花満開の時節。
 時貞の誕生日祝いがあらかた済み、ケーキもお腹におさめて満足げな白夜の前に、花束が差し出された。自分に花束が寄越されるとは予想していなかったのか、オランピアの美しい瞳がまるく瞠かれる。

「と、時貞? これは……?」
「『バレンタインデー』、薄荷ショコラタルトをくれたでしょ。今日は『日本』では『ホワイトデー』と言って、『バレンタイン』のお返しをする日なんだって」

 オランピア手作りの薄荷ショコラタルトの味をあわく反芻しながら、早春に咲く花々をめいっぱい束ねてもらった。

「―― ありがとう。『バレンタイン』の薄荷ショコラタルト、本当に、本当に美味しかった」

 時貞は、万感の思いを込めて、婚約者である愛しい彼女へ感謝の言葉を伝えた。
 大袈裟な話ではなく―― 時貞は、二月十四日からと言わず、彼女と結ばれてから今日に至るまでの日々を、幸せな思いで過ごせたことに心から感謝をしていた。
 寒さを感じると否応なく思い出される。凄惨な戦の始まりを。冬を越えて訪れる春の兆しは、その暖かさとは裏腹に、おのれとふるさとの人々の絶望と死の風景を想起させるものでもあった。
 オランピアの婚約者として初めて迎えた春、慈眼大師から授けられた桃が、爛漫と花をつけるさまを眺めながら、春の訪れとはこのように優しいものであったのか―― と、本来あるべき春の姿を思い出したような感覚を覚えた。
 雪の降った二月十四日。オランピアが贈ってくれた『バレンタイン』の薄荷ショコラタルトも、その凄惨な記憶を少なからず遠ざけるような―― そんな味がした。
 産まれた日とて、『最後』の日々は祝う気にとてもなんてなれなかった。
 かつて、彼女の舞は実際に太陽を喚び起こす尊いものだった。オランピアの一挙一動もまた、あたかも春の暖かさを舞い戻すような、そんなちからがあるのでは、とすら思えた。
 天供島で出逢った、たった一人の【白】の女性。太陽のような心を持つ彼女の、ただひとつの愛を得たことについて、時折、信じがたいような気持ちに襲われるときもある。天供島は天草と似て海に囲まれた土地であるが、窓から見える風景は、やはり異なる。この生は間違いなく死後のものだ。けれど、彼女から与えられる愛も、自分が与える愛も、決して夢ではないのだと、時貞はオランピアと言葉を交わすたびに、触れるたびに、想う。
 凛としていて、愛らしさもある花顔に、彩り豊かな花束はよく映えた。
 時貞は手指を伸ばし、オランピアの前髪を優しくのける。

「オランピア、お姉さん、……白夜。愛してます」

 細い腕に抱かれた花束をつぶさぬよう気をつけながら、その麗しい目元に軽く唇で触れる。
 春の花の香りが鼻腔をくすぐる。かぐわしさに誘われるように―― まろやかな頬に口づける。白い頬がさあっと染まるさまに見とれる。

「……時貞、」

 オランピアの淡い琥珀色の瞳がもの欲しげに潤み、上目がちに時貞を見上げる。名を呼ぶ声に応える代わりに、時貞はその桃脣を親指でなぞり、自らの脣で触れる。いちど離れて、もういちど深く重ね合わせた。

二次 文章

ピュアホワイト・バレンタイン(時オラ)
#オランピアソワレ

 二月十三日、夜。

「で、できた……!」

 手にすくったショコラを舐めていただいふくがぱっと振り返り、白鼠なりの小さな快哉をあげてくれた。
 白夜が手にしたバットの中には、小一時間ほど冷蔵庫で固めて形となった、薄荷ショコラタルトが並んでいる。
 事の発端は、先日浜辺に流れ着いた、瓶詰めの手紙だった。
 ―― バレンタインのチョコレートは、時貞くんにあげますか?
 バレンタイン。聞き慣れぬ響きに首を傾げたその翌日、屋敷の書斎で『日本』の風習に関する本を漁ってみたり、物知りそうな友人たちにこっそり尋ねてみたりした。何でも『日本』の二月十四日は、「女の子が好きな男の子にチョコを渡して想いを告げる」日らしい。『日本』とはいえ、かなり新しい年代の風習のようだから、恐らく時貞は知るまい―― と、白夜は時貞に秘めたまま情報収集をし、『バレンタインデー』に向けた準備を進めてきた。
 【緑】の天草四郎時貞と言えば薄荷ショコラなので、どんなチョコを作るかという点においては迷わずに済んだ。手紙配達を終えて岬の家へ直行し、すぐ取り掛かったのだが、初めての薄荷ショコラタルト作りは中々の時間と手間を要した。寒さをしのぐため、カーテンをぴっちり閉めた窓の向こうはとっぷりと暗い。
(初めてにしては、上出来ではないかしら?)
 とは言え、これで終いではない。薄荷ショコラタルトは、チョコタルト生地の中に固着した薄荷ショコラムースの上に生クリームをちょこんと絞り、更にミントの葉を乗せて完成―― の予定だ。
 時貞はどんな顔をするだろうか。彼を婚約者と定めて一年半の年月が過ぎたが、彼の人柄の好さは疑いようもない。優しい彼のことだ、どんな味でも全部食べてくれるのは間違いないだろう。が、それに甘んじてはならない。
 頭に巻いた三角巾の締まり具合を指で確かめる。既に用意していた生クリーム絞り袋を手に取り、白夜は気を引き締め直した。
(あともう少しよ、白夜!)



***



「え……!?」
 薄荷ショコラタルトが完成したところで疲れ果ててベッドに倒れ伏してしまい、包装は翌朝となってしまった。
 ぶじに二月十四日『バレンタインデー』を迎え、手提げ袋を手に岬の家を出た白夜の視界に飛び込んできたのは、雪化粧に装われた天供島の風景だった。
 だいふくも鞄からひょっこり顔を出し、きょろきょろと辺りを見回している。
(まさか雪が降ってたなんて!)
 チョコ作りに夢中になりすぎて全く気づいていなかった。ふだんは【色】ごとに鮮やかな屋根の色もみな一様に雪に覆われて白くなっている。少し浮き足立つような心地で、白夜は【緑】の居住地へ続く道を歩いていく。
 積雪とは思いがけぬ事態だが、白は白夜にとっておのれを象徴する色。
 鞄にはだいふくだけでなく、時貞へ贈る『バレンタインのチョコレート』が仕舞われている。
(何だか、全てうまく行きそうな気がする)
 縁起がいいように思われて、白夜は口元に笑みをこぼした。



 天供島の中でも、【緑】は景観の良さが謳われる居住区である。普段から目には草木の緑眩しく、耳には小川のせせらぎが心地よい。今日は、特徴的な急勾配の茅葺き屋根、田畑をくぎる畦がうすらと雪をかぶって、ひときわ絵画的な風情を漂わせていた。

「あ、オランピア様! おはようございます!」

 居住区へ足を踏み入れた白夜を早々目に留めて、声をかけてきたのは竹駒だった。【緑】の中でも親しい方と言える彼女が、今日も変わらず元気そうで、白夜は嬉しくなる。

「おはよう、竹駒」
「今日も配達ですか」

 竹駒に問われ、はっとする。

「いえ、―― 今日はお休みをもらってるの」
「あら、そうなんですか。では、時貞様とお約束ですか」

 竹駒がにわかに相好を崩す。チョコレートを贈ったら、彼はどんな顔をするだろう、有り体に言えば驚く彼の顔が見たいな―― と、『バレンタイン』一連については、時貞に秘めたまま事を進めてきた。後ろめたいわけではないが、約束はしていない。白夜の歯切れは、ほんのちょっとわるくなった。

「まあ、……そんなところよ」

 竹駒は【緑】の長である時貞を慕い、支える一人である。時貞との関係は、【緑】の皆々に見守られて今日に至る―― とは言え、他人に自分の恋愛事情を嗅ぎ取られるのは、さすがに面映ゆい。

「時貞様なら広場にいらっしゃると思いますよ」

 彼女の娘の笹良であれば歯切れのわるさに突っ込まれたのかもしれない。竹駒はやわらかく微笑むだけに留め、【緑】の集会場を示してくれた。

「ありがとう、竹駒! また、きっとすぐに手紙を持ってくるわ」
「ええ、楽しみにしています」

 白夜は竹駒に見送られながら、広場へと向かう。そこはかとなく逸る気持ちを抑えるような足取りで。【緑】の広場は燦々と日当たりの良い場所で、冬の冴えた朝日の光に、草葉に積もった雪がきらきらと光を弾くさまが、遠目にも見てとれた。子どもたちのはしゃぐ、軽やかな声が聞こえてくる。
 広場には、子どもたちと遊ぶ時貞の姿があった。
 婚約者と定めてから一年半すぎ、時貞はあとひと月で十九歳となる。
 特徴的だった後ろ髪を切り落としてから暫く経つ。やわらかな栗色の髪を、前髪も含め全体的に軽めに整えるようになった。今はかねてより愛用の黒い外套を羽織っているため見えないが、普段着も、レースタイと腰元のリボンが印象的な袴姿から、白い詰襟に、一文字ボタンや花結びの留め具があしらわれた島風のものに改めた。
 出逢った頃からすると、面立ちも体つきもうんと大人びた。誰がどう見ても、時貞はかっこよくなった、と思う。胸の真ん中あたりがじんわりと熱を持つ。子どもたちに囲まれ、心からの笑顔を浮かべる時貞に見惚れて、白夜は立ち尽くす。
 不意の振り向きざまに時貞が白夜の存在に気づき、目を見開いた。

「あれ、お……オランピア?」
「と、時貞。おはよう」

 駆け寄ってきた時貞と挨拶を交わす。見惚れていたことを悟られるのは気恥ずかしく、白夜の微笑みは少しばかりぎこちなくなってしまった。

「おはよう。思いっきり遊んでるところを見られちゃったな……」

 時貞は恥じ入るように苦笑した。

「雪遊びをしていたの?」
「溶けるまで付き合う、なんて言っちゃってね。……天草でも、雪が積もることなんてそうそう無かったから、物珍しくて、つい」
「そうなのね」
「最初は雪だるまを作る手伝いをしていたんだ。ほら、あそこ」

 広場の隅のほうに、小柄な雪だるまがぽつんと佇んでいる。傍には雪兎らしきものの姿も見受けられた。それぞれ手作りのでこぼこ感にあふれた出来で、白夜は微笑ましい気持ちを素直に唇に載せる。

「可愛い。素敵だわ」
「ありがとう。……あ、お姉さん」

 え、と思う間もなく、時貞の手が白銀の髪に伸び、優しい手付きで雪を払い落とした。手袋越しとはいえ、思いがけなく触れられ、白夜の鼓動が小さくはねる。

「白いから気づきづらかったけど、よく見たらついてた」

 近づかれると、改めて上背の差を感じた。昔はもう少し視線の高さが近かったように思い出される。時貞の変化とてここ二日三日のものではないのに、積雪でいつもと風景が異なるせいか、それとも、薄荷ショコラタルトを渡す折を意識しているせいか、時貞の成長がやたらと目に付いた。ふわふわとした心地を押し隠しつつ、白夜は時貞を仰ぎ見る。時貞は白夜の髪を一房手に取ると、その口元に持っていく。ふわりと微笑を浮かべると、囁き声で言った。

「朝起きて目が覚めたら窓の外が真っ白で、貴女を思い出したんだよ。会えて、すごく嬉しいです」
「……!」

 その頬が淡く紅潮して見えて、白夜は堪らない気持ちになった。

「……えっと。オランピアは、配達に?」
「今日はお休みをもらっていて、その……」

 時貞が小首を傾げる。休みの日は時貞と過ごすことが多いから、不思議に思っても当然ね、と白夜は胸の裡で独りごちる。鞄から『バレンタイン』のチョコレートを取り出そうとしたところで、だいふくと目が合った。思わずだいふくの視線の先を追いかけると、いつのまにか【緑】の子どもたちに囲まれていることに気がつき、手が止まる。

「オランピア様も、お休みですか?」
「あっ……、そ、そうなの」
「今からもういっこ、雪だるまを作ろうって話してて。その、オランピア様も……」

 一緒に遊びませんか、と。雪まみれになった緑の髪の下から俯きがちに、白夜の反応を窺う緑の瞳を見て、白夜は一瞬のうちに思案を巡らせた。
 今日は時貞に『バレンタイン』のチョコレートを渡すために【緑】にやってきた。手作りの薄荷ショコラタルトを、早く渡して、時貞の喜ぶ顔が早く見たい。けれど、衆目がある今渡すのはさすがに恥ずかしい。【緑】の子どもたちはきっと『バレンタインデー』を知らないから一から説明するのも億劫だ。―― となれば、
(今はのっときましょう!)

「ぜひ作りましょう! あの雪だるまも、『半身』がいたほうがさみしくないものね」

 白夜のウインクに子どもたちが色めき立つ。はからずも白夜と共に過ごせることとなった時貞も、嬉しそうに破顔した。
(でも、これはいつ、渡せるのかしら……)
 白夜はしゃがみ込み、千草色の手袋の上に雪をすくう。鞄から雪の上に滑り出て、パリスのほうへと駆けていくだいふくの小さな背中を見送りながら、笑顔の下で少しだけ途方に暮れていた。



***



 日が高くなり、雪に覆われていた地面もだんだんと露わになってきた。いつもの【緑】の風景へと戻りつつある。昼餉の時間が近づき、子どもたちはそれぞれの家へ帰っていった。広場に残された二人のそばには一対の小さな雪だるまが並んでいる。子どもたち曰く、やや大きなほうが「時貞様」、やや小さなほうが「オランピア様」とのことだった。

「楽しかった! みんな、元気いっぱいね」

 ぐっと背伸びをする白夜を、労るように覗き込み、時貞はやさしく目を細めた。

「貴女と遊べて、皆本当に楽しそうだったよ。ありがとう」
「【緑】の子たちは、みんな気が優しくて、大好き」

 思いがけず佳い時間を過ごせたと、白夜は心からの笑顔で応えた。ところで、と時貞が眉をうすくハの字に下げ問うた。

「本当に今更だけど、良かったの? 今日はお休みと言っていたけれど、他に何か用事とか……」
「あ……そ、その」

 【緑】に着いて、時貞を見つけ次第、挨拶するが如く渡せばいい……と軽く考えていた。事実、婚約者なのだから、何を贈ったところで唐突ではない、はずだ。起床してから【緑】へ向かう間、胸をたぎらせていた(渡したい!)という意気込みがもはや遠く感じる。―― というより、妙に冷静になってしまったというべきか。冷静になると妙に不安になってきた。天草四郎時貞と言えば薄荷ショコラと言えど、いかんせん死菫城の絶品アイスである。何かの折に彼お手製の薄荷ショコラのシフォンケーキを差し入れしてもらった記憶がある。……縁の折紙付きの美味しさだった。
(私の薄荷ショコラタルトは……)
 最初から最後まで白夜の手作りだ。監督役はだいふく一匹。自分でも味見はしたし、出来は悪くない―― と思う。頑張って作ったけれど、死菫城のそれに遠く及ばないことはさすがに自明だった。

「……オランピア?」

 時貞が困惑し、心配そうに覗き込んでくる。マレビトの証たる十字の、瞳孔のかたちがはっきり見える。
 『日本』の『バレンタインデー』について調べた際、意中の異性にチョコレートを渡す女の子たちは一様に勇気を振りしぼる―― そういうものだと知った。彼女たちに比べれば、白夜はすでに時貞と結ばれている。時貞は疑いようもなく穏やかで優しい青年だ。躊躇する必要も心配する必要も無い、のに。
(何だかどきどきする)
 キスだってたくさん交わした。体だってもう何回も繋げている。チョコレート一つ渡すくらいのことで、へんにどぎまぎするなんて――、
(私って、時貞のこと、本当に、大好きなのね)

「私、時貞のこと、大好きよ」
「えっ、ええっ?」
「今日は時貞に会いたくて、お休みをとったの。……これを、渡したくて」

 白夜は鞄から小箱を取り出すと、その両縁に両手を添えて、時貞の前へ突き出した。青磁色の包装紙につつまれた小箱には純白のリボンが巻かれている。時貞は目を瞬かせ、小箱と白夜のあいだで視線を行き来させた。

「お姉さん、これは……?」
「『日本』では、二月十四日は『バレンタインデー』というそうよ。好きな男の子に、女の子がチョコレートを贈る日なんですって」
「好きな男の子に……」

 緑の大きな目が、いよいよまるく見開かれる。白夜の頭上にある頬が、薄く色付いたように見えた。

「薄荷ショコラタルトを、作ったの」
「手作りで?」
「そう」
「た、大変だったでしょう」
「それは……でも、前、貴方もシフォンケーキを作ってくれたじゃない?」
「そ、それは……あくまで僕の好きなものを、僕が作っただけだし」
「……受け取ってくれないの?」
「ご、ごめん! いや違って!」

 時貞は慌てふためきながらも、恭しい手付きで白夜の手から小箱を受け取った。

「今、開けたいくらいなんだけど……勿体ないから、あとで大事に食べてもいいかな」

 食べた反応を見たかったような、残念な気もしたものの、白夜は頷いた。
 時貞は外套の裡にある衣嚢に青磁色の小箱を大事に仕舞い込むと、白夜へ向き直る。

「その……白夜、」

 『お姉さん』でも『オランピア』でもなく―― 彼がその名を呼ぶのは、二人きりの時しかない。薄荷ショコラタルトが無事に時貞の手の中におさまり、安堵したばかりの白夜の鼓動が微かに音を立てた。
 時貞の腕が伸び、ていねいな仕草で白夜の体を抱き寄せた。

「……ありがとう。とても、嬉しい」

 時貞の澄んだ声が白夜は好きだ。無防備な耳元で、少しかすれた声音で囁かれ、華奢な肩がぴくりと跳ねる。

「大事にいただくね」
「……味見はしたけど、あまり自信は無いの」
「絶対に美味しいよ」
「死菫城の薄荷ショコラには到底及ばないわ」

(今までになく面倒くさい女になってるわね、私)
 気恥ずかしさ紛れに、胸の裡で自嘲する。抱き締められた白夜から、時貞の顔はあまり窺えない。それでも、時貞が微笑んだのが分かった。

「絶対、世界一美味しいよ」

 ―― そんなわけ無いのに。ただ、今自分を抱き締めているこの人は、本当にそう思いながら食べてくれるのだろう―― と、白夜の中にふしぎな確信が湧く。時貞の声には、やすい甘言とは思わせぬ密度が感じられた。
 堪らぬ思いを噛み締めながら、ほんのり熱を持った頬を、眼前の黒い外套にぎゅうと押し付ける。

「午後から、うんと頑張れそうだよ」

 本来であれば、午前中、時貞には織り女たちの作業場を訪問する予定が入っていたらしいが、雪遊びをしたがった子どもたちの見守りを引き受けたため、日程は再調整となったらしい。

「お姉さん、今から黄泉へ一緒にお昼食べにいかない? 午後からは縁と打ち合わせがあるんだ」

 どことなくあやすような声色で尋ねられ、白夜は「……行く」と一言、らしくない返答の仕方をした。出逢った頃からしばらく、時貞は所在の無さから不安定なところがあり、彼のほうが年下なのも相俟って、甘えさせたり受け止めたりするのは自分のほうである―― という自負が、白夜にはあった。……白夜はちらりと上目遣いで時貞を窺う。精悍さを帯びた輪郭がすぐ目前にある。
 おもむろに抱きしめ返せば、男性らしい体の厚みが感じられた。不意に、時貞の吐息が白夜の薄い耳たぶに触れる。

「今日の夜、……岬の家にお邪魔してもいい?」
「……っ」
「……だめ?」

 その響きには、後ろ髪を伸ばしていた頃を思わせる、あどけなさがあって。
(……ずるい)
 ぐんと大人びたかと思えば、年下として甘えてくる。婚約者である彼の二面の間で踊らされている―― ような、若干のくやしさを覚えながら、白夜は応えた。

「……待ってるわ」

 白夜の返事を聴いて、時貞のやさしい拘束が緩んだ。白夜があっと思う間もなく、手をとられ、繋がれる。時貞は白夜の手を引き、嬉しそうに笑う。繋がれた手を伝って、彼の温かさが流れ込んでくるような―― そんな心地になって、白夜も眦を下げた。

「……行こっか」
「ええ」

 どこに隠れていたのか、だいふくとパリスが駆けてきて、それぞれの肩に載ると、二人は歩き出した。時貞と白夜の立ち去り、すっかり静まり返った広場を、中天に近くなった陽の光を浴びながら、一対の雪だるまが見守り続けていた。

二次 文章

悋の小花(理めぐ)
#月影の鎖

 朝から霧のような小雨が降っていたから。月のものが近いから。最近忙しくて少し疲れていたから、とか。
 牛乳屋の店先で、言葉を交わす理也と女性の様子がやけに親しげに見えて、心臓のあたりが急に冷え込むような心地がした。些細なことにつまらぬ嫉妬をくすぶらせた言い訳を、昏々と脳裏で並べながら、めぐみは自分が情けなくなって近くの路地裏へ逃げ込んだ。
 あくまで遠目に見たかぎりだから、理也に見咎められていないことをめぐみは祈った。自分の醜いところなど、今まで彼の前で晒したことは数知れず――とはいえ、それでも羞ずべきだとめぐみは胸もとをきつく握り締めた。たかが、話していただけではないか。この気持ちを明かせば、少なからず理也を縛ってしまう。
(それは、駄目)
 項垂れながら首を横に振る。
 でも、と一片の感情が明滅する。このままやり過ごせることを祈る一方で、見つけてほしい、とも思っている。ちょうど袖の裾で、顔を覆った時だった。

「……こんな暗い所に入り込んだら、危ないですよ」

 聞き慣れた、低く柔らかい声が薄暗い路地裏に舞い込んできた。せめて何でもない風に取り繕えたら良かったのに―― 袖で覆った顔の、その目尻には薄く涙が滲んでいた。
 路地裏に身を潜めた女が何を考えていたのか、下手に語るより雄弁な有り様ではないか。めぐみは咄嗟に理也に背を向ける。

「ねえ、めぐみさん」

 名を呼ぶ声に戸惑いは無かった。理也の声色は、あたかも全て分かっていると言わんばかりの深さを湛えていた。
 理也はすっかり小さくなっためぐみの両肩にそっと手を置く。理也の体温を近くに感じ、めぐみの頬が知らず熱を持つ。しかし、理也を見返る勇気は持てずにいた。

「遠目に貴女を見つけて、すぐに切り上げて貴女を追ってきたんです」
「そう、……なんですか」

 理也にも、理也と話していた女性にも申し訳なくなって、相槌はぎこちなく震えてしまった。

「最近はね、少し淋しく思っていたんです」

 (え、)と、思わぬ言葉にめぐみは思わず顔を上げる。落ち着いた声で理也は続けた。

「俺が誰と話していても、平然としていることが増えて……それはそれで、俺への信頼が感じられるようで嬉しかったんですよ」

 ―― 本当ですよ?
 悪戯っぽく微笑む彼の表情が想像できて、めぐみは振り返りたくなったが、涙に濡れて赤らんだ顔を見られたくなくて何とか堪えた。
 細い肩の形を確かめるかのように、両手で宥めるように撫でながら、理也は語る。

「でもね、久しぶりにめぐみさんの可愛いやきもちが垣間見られて、不謹慎ですけど、少しだけ……嬉しくなってしまいました」

 とうとう堪えられなくなって、めぐみは理也へと向き直る。理也は桔梗色の目を優しげに細め、ただただめぐみを見つめていた。その頬は淡く紅潮しているように見えたけれど、雨上がりの夕空のせいかもしれなかった。

「ひどいひと……」
「……すみません」

 言葉とは裏腹に理也は悪びれることなく朗らかに笑い、めぐみの両手を取る。互いの息が触れそうな距離まで身を寄せると、小首を傾げながら、めぐみに囁いた。

 ―― 許してもらえますか?

 ずるいです、と。
 微かな喜びを含んだ、女のささやかな訴えは、重なった二つの唇の奥に溶けて消えていった。

二次 文章

彼岸に背く(理めぐ)
#月影の鎖

 夏がまさに過ぎようとしている。晩夏の涼風が渡り始める、その短いあいだ、小さな田の畦を飾る花がある。彼岸花。
 彼岸花の咲き誇る細い畦のそばに、彼女は佇んでいた。声をかけようとしたけれど、理也は咄嗟にそれを呑み込んだ。
 その人の横顔が、じっと彼岸花を見つめている。
 夏の盛りを思えば空の色はやや薄らいでいる。秋めいた青空を背に、彼岸花はいっそうその赤を際立たせていた。
 艶やかな花であるのに、咲く時季のせいか、或いは血を思わせるような色がいけないのか―― 彼岸花という花は、ひとびとにどことなく死を想起させる。
(……冬浦さん、)
 先刻呼べなかった名前を胸の裡で反芻する。
 冬浦めぐみは、他の人間より少しだけ死がみぢかだと、理也は感じている。それが幼い頃に両親に失ったことに所以するのか、はっきりとは分からないけれど。
 それは自分と想いを通わせてもなお未だ変化のない部分だ、とーー、理也は薄く眉をしかめる。
 めぐみの薄い唇が、何かをささやくように動く。その唇は、恰も花の色をうつす鏡であるかのように紅く、理也の神経をぞくりとふるわせた。咲きほこる彼岸花に微笑む少女の“画”を前に、理也は何となく青ざめるような心地になる。焦燥感に背を押され、止めていた足を一歩前へと踏み出した。
 白い指が彼岸花へと伸びる。じかに花へと届く前に、理也は強引にその手を取った。

「えっ」

 急に手を掴まれて驚いたのであろう、めぐみが瞠目して理也へと振り向いた。

「さ、理也さん……!?」
「……すみません、急に」
「あ、いえ……それは、構いませんが……」

 相手が理也で安心したのか、めぐみはほっと息を吐くも、繋がれたままの手をにわかに意識したらしい。頬をうっすら染めながら、おそるおそる理也を窺い見る。
 空いたもう片方の手で、めぐみは思わず口許を隠す。
(今日は、理也さんがお店に寄ると聞いていたから、)
 ーー 紅を引いた。気づかれただろうかと、何となく気まずくなって、めぐみは理也から目を逸らした。
 めぐみの眼差しが再び彼岸花のほうへ投げ出されたのを見とがめる。理也は掴んでいた手を放すと、間をあけず理也はめぐみの細面に手を添える。輪郭をやわらかく掴むようにして、おのれのほうへと向けさせた。そのまま、ぐいと身ごと引き寄せる。

「さ、理也さー」

 目近くも明らかなめぐみの困惑には知らぬふりをして、理也は目を伏せる。想い人の唇の温度を舌で軽く味わい、そっと身を離す。

「……」

 郊外とはいえ、屋外である。いつになく積極的な理也にめぐみは心底驚いて、声を詰まらせている。その沈黙をよそに、理也は澄ました顔で自らの唇を親指で拭う。そうして笑みをこぼした。

「口紅、付けてたんですね」
「……変、でしょうか?」
「いいえ。よく、お似合いですよ」

 少し怖いくらい―― とは言わなかった。花に似た色の口紅は、確かに、その顔をいっそう美しく引き立てていた。目の端で、彼岸花独特の細い花弁が風に揺れるのを見る。理也に脳裏に明滅する不穏な想像を振り切るように、めぐみの両手をすくい上げ、囁いた。

「山の方は、もう萩が咲いてる頃かもしれません。―― このまま、店に行こうかと思ってたんですが。少し歩きますけど、一緒に、見に行きませんか」

 湖面のような瞳に、望月理也という一人の男が映っている。その事実に安堵しつつ、理也は答えを待つ。あまり間を置くことはなく、めぐみははにかんで頷いた。
 少女の、ほのかに染まった頬を見て、むらさきの小花の色を思い出す。畦に咲き揃う彼岸花の群れに背を向けると、理也はめぐみの手を引き、歩き出した。

二次 文章

桔梗のおとない(理めぐ)
#月影の鎖

「理也さん、」

 呼びかけと共に控えめに外套の裾を引っ張られ、思わず目を瞬いた。
 めぐみと並んで歩いていたつもりが、いつのまにか一歩前を歩いていたらしかった。

「すみません、少し早かったですか」
「いえ、違うんです。あの……」

 よくよく見ると、少しだけ肩で息をしている。めぐみが少し後ろを振り向き、空いたほうの手で指差した。民家の庭先に、紫の花が咲いている。

「ああ。桔梗、ですね」

 すらりと伸びた茎が初夏の風を受け、涼しげに花が揺れる。星のように開いた花が一つ、その他はまだ蕾ばかりだった。おもむろにめぐみの指が伸びて、紙風船のように膨らんだ蕾をつつく。

「こないだ紫陽花が色付いたばかりですのに、もう桔梗の時季なんですね」

 桔梗は、理也としても思い入れのある花である。

「毎年、桔梗を見かけると理也さんを思い出していました」

 言いながら、花あさぎの瞳が微笑んだ。理也がいつも羽織っている外套は、桔梗の刺繍が施されている。想いを寄せている女に、思われて悦ばない男はそういない。理也も例に洩れず少しくすぐったくなって、帽子のつばを掻いた。

「……いつもは、思い出してくれなかったんですか?」

 一拍。きょとんとして、めぐみが目を瞬かせる。理也の言をようやく呑み込めたのか、たちまちその柳眉をハの字に下げた。薄い唇を微かに震えるのを、白い指で隠すしぐさがいじらしかった。

「理也さんの、いじわる」

 ほんのり染まった頬が愛らしいと思った。夏はまだ遠き淡青の空に風が薫る。すみれ色の長い髪がさらさらと揺れる。その可憐な想い人のありようが―― さながら桔梗のようだと、理也は思った。

二次 文章

■蝉野芥子

月影の鎖とpkmnが大好き。好きなキャラを軸に乙女ゲーム的関係性を思索するのが好き。家族(二親等内)も大事。lit.link