蝋梅書屋
Wintersweet Den

日々思ったこと、作品に触れて考えたこと等の整理・備忘

2025年7月の投稿6件]

2025年7月24日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

2025年7月24日
1子「2子ちゃん、ないてる!1子はらいじょぶ。2子ちゃん、ちんぱい」

ミルク後おむつチェック済泣き放置両親「どうしよう、1子のほうが人間ができてるねえ」

日記

2025年7月23日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

2025年7月23日
夫と子どもたちと過ごす日々が幸せなのだが、人間の命が有限である以上、この幸福も有限なのか……と思うとかなしくなる

日記

2025年7月17日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

2025年7月17日
2023年1月、母子ともに生き延びたのはきっと奇跡だった。そして今がある。
2子がお七夜を迎えた。実母が用意してくれた麻の葉模様の産着を着せて、ささやかに祝った。

●予定帝王切開当日
前日は、なんか気持ちがフワフワして所在なかったな〜くらいしか……。あ、高校時代の友人が電話くれたな……。おかげで、さみしさとほのかな緊張が和らいだ気がする。
当日、予定時刻を過ぎたところでお呼びがかかり、オペ室まで歩いて向かった。1子の時は緊急帝王切開で、流されるままに車椅子で連れて行かれた記憶。謎に陣痛付きでお腹を抱えていた。あれよあれよという間にオペ室に担ぎ込まれ(たぶん個室を出た時点で足を床につけていない)、麻酔を入れられたかと思ったら間髪入れず手術開始といった慌ただしさはまさに「緊急帝王切開」だったのだな……と回顧された。
何せこのたびは手術台にも自分で乗った。ふかふかしていた。麻酔の入れ方が前回と違うと事前説明を受けてはいたけれど、麻酔を入れるのに体感30分くらいかかった気がする。担当医が到着が遅れたのも併せて、ちょっと焦れったいくらいで、「緊急」がやや恋しくなった。
相変わらずのシバリング体質で胸から上が震えていたが、麻酔科医に前回もシバリングを起こしたことを伝え、体を補液で温めてもらったところ震えがおさまり、少しばかり快適に術中を凌ぐことができた。前回は術後にシバリングを起こし、しかも「寒い!」ではなく「暑い!」と呻きながら震えていたため看護師・助産師一同をわりとガチな混乱に陥れ(シバリングは普通「寒い」と訴えるらしい)、何と術後の麻酔を抜き、汗をかき暑がりながらも毛布をかぶる(→全身の体温を均一にする)という奇態を晒してしまったのだが、その経験が活きた形となった。
子宮を切開するのにやや時間がかかったように思われ、もぞもぞと変な心地がしていたけれど、産声が聴こえた瞬間妊娠以来悩んでいたことや抱えていた不安が弾け飛び、ただただ「元気でよかった」と涙が溢れ、はらはらと零れた。やはり、産声が聴こえると、どっと安心した。母体として、出産における最低限のラインは越えられたような感覚。解放感は大きかった。
赤子というものの、産まれたてはなんか、むしろ白い。特におでこが。お腹を縫われながら子の出生体重を聞いた。2976g。聞いていた推定体重より500gくらいデカ……。胎盤も500gくらいあったそうで、道理で体が重たかったわけだ、と思った。週数平均上スレスレである。
1子は1856gだった。担当の助産師さんが1子と同じ方だったのだが、1子時の胎盤はおよそ半分サイズだったという。1子には、私の油断のあまり、胎内から負担をかけてしまったように思う。同時に、今しっかり育っている1子に、改めて深い感謝を覚える。個人産院の定期妊婦健診で血圧上150〜160を叩き出してしまったにも拘らず、母子ともに無事だったのは、本当に、本当に「運が良かった」のだろう。
緊急帝王切開のときも、取り出されてから腹部を縫合するのに結構時間がかかっていた覚えがあるので、その辺の心構えがあったのは、まあ良かった。帝王切開は、胎児が取り出されてからが、じゃっかん長い。
今回の予定帝王切開、麻酔の打ち方の問題なのか、術後当日の痛みが本当に軽かった。これなら自然分娩vs帝王切開の辛さバトル完敗だと思うくらい軽かった(ただ翌日にカテーテル抜いて自力で動かなきゃいけなくなってからのしんどさは記憶どおり)
前回はシバリングに恐れ慄いて麻酔を抜いてもらったとはいえ、麻酔を抜く前からやたらと痛かった記憶がある。「寒くて震えるならまだしも、暑くて震えるのは得体が知れなくて怖い!死ぬほどお腹痛いけど、痛いのは死なない!あとお前が麻酔を抜くと決めた以上は弱音を吐くな、自分の判断を後悔するな」と頭の中で唱えながら後陣痛か傷の疼痛かに2日中耐えていた覚えがある。そもそも術後すぐの感想が「日常生活を送れる気がまるで(ごっそり)しない」だったのに比べ、今回は人としてのかたち(?)は保てている感じがした。実際、産後ハイも相俟って母に電話したり、諸方面にLINE打ったりしてたので……。
今回は血圧にもあまり変化なく、むしろ順調に上110を切っている。前回は退院予定日まで中々下がらず、助産師さんが測り直し・電子機器の使用禁止・室内の照度を落とすなど様々なアプローチで下げようと努めてくれていた……のだが、産科サイドから「血圧が高いので要安静」、小児科サイドから「少しでもGCUに足を運んで、できる世話は覚えてほしい」という二律背反を突き付けられ、体も痛くて精神的にもかなり参っていた。
今回はさすがに経産婦なのもあり、母子同室も強くは薦められず、かつ❝予定❞帝王切開のおかげかカテーテルも早めに抜けた。どちらかというと、体の回復を優先できているように思う。

日記

2025年7月16日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

2025年7月16日
8月に流産し、12月初旬に3回目妊娠が確定して以降、日記を書くのを意識的にやめていた。
8月の流産で、やはり妊娠過程とはどう転ぶか最後まで分からないということを痛感した以上、途中で何かしら書き残すことは気が咎めた。
とりあえず、妊娠高血圧(腎症)を再発することなく、ぶじに予定帝王切開の日を迎えられた。

●つわり
第1子、流産時に較べればへのかっぱであった。何しろ外出してショッピングとか出来てた。ただ、夜になるとちょっとぐったりしていた。
ただし、1月に貧血を言い渡される。12月からとにかく朝が起きづらくひたすらダルかったのはそのせいだったのだろう。12月は極端に朝起きられなかったので恐らく眠りづわりだった。つわりコンプリートした(?)

●安定期
つわりが大したものじゃなかった分、逆に「安定期」感が薄く、じわじわ体が動きづらくなる途上という感じだったかも。恥骨が痛くなるのが早かったのもある。まあ確かに3月は比較的元気だったかも?ただ、胎児の性別が分かり、かなり色んなことを考えてしまって精神不安定になっていた。
また、1子を産んだ総合病院に早々転院することになった。振り返ると、白衣血圧が上130に乗ってたのもあるか。ここから1子連れ総合病院通いチャレンジが始まった。
夫ががんばってせっせとポテサラ作ってくれてたな……。
また、個人産院ラスト診察で尿糖が出てかなり精神が乱れた。何事もなく終わったから言えることだが、産院に行く前に大福を食べちゃったから、だとは思う。とはいえ、ここから糖質量も気にし始めたのは、結果的には良かった。

●妊娠中後期
白衣血圧というか、妊娠状態で1子連れ産院通いが物理的にしんどすぎて血圧が上がっていたようなので、血圧計測タイミングのコツ(?)が分かれば、ボチボチな血圧数値を提出できた。
夫がバテ始めたのでポテサラは無くなったが、トマトとブロッコリーをせっせと食べるようになる。
お菓子も食べ過ぎないようかなりセーブをかけていた。ケーキやアイスなど大きめの甘味は1日間隔を空ける、など。結局、尿糖+を指摘されたのは3月の1回きりだったが、どうも胎児の発育がたいへん順調(平均上ギリギリ)なのが却って「巨大児の恐れ有りなのでは……」という不安を掻き立て、甘味制限をついぞ終わらせなかった(……)
しかしながら、自分という人間がいかに甘味を生活の彩りにしているかを改めて思い知った。やはり甘味制限はそれなりにストレスだったため、食い出のあるヨーグルトを新たに求めた。ブルガリアヨーグルトホームメイドとの出会いから、ヨーグルト1日200g生活が始まった。
思い出としては、ポケモン工芸展だろうか。1回目の妊娠時もポケモン恐竜博物館に行った。似たようなタイミングで足を運んだため、思い出深い。
そしてまた貧血になった。ただ、胎盤が大きいため、血流がいい証拠とも言われ、複雑な気持ちに……。

●臨月手前
実母が手伝いを提案してくれていたが、夫が完全にバテていたため、断る羽目に。それなりに不満だったが、まあこれも一つ「貸し」としようという浅ましい思いとともに6月を走りきる覚悟を決める。龍ファクを買って結構やり込んだ。1子に対し著しく我慢と迷惑を強いたと思うが、もはやろくに体も動かないし精神は乱れぎみだし、いかんともしがたかった。
龍ファクの前にリアル・ソシャゲともに関裕美の関連イベントが入ってきたのは予想外だった。1子出産の直前(ちょうど産休に入る前)にも関裕美報酬チョコレモイベントがあったのを思い出すと、何だかふしぎな心地がした。5月時点で遠出に限界を感じていたため、レジャフェスのあったモンキーパークには、静岡の友人に無理を言って付き合ってもらった。短い滞在時間ではあったものの、幸運なことにアナウンスを聴くこともできた。本当に感謝しかない。
しかしながら、6月は本当にしんどかった。どれくらいしんどかったというと、スマホのカメラをまともに構えられないくらいしんどかった。

●臨月
体が重くて、立ち上がるのにも限界を感じつつ、とにかくもう限界だ……と思いながら、最低限の家事をまわし、1子の生存権の保持を心がけた。何をするにも息切れする。しかも暑くてほぼ外に出られない。調子が良ければ朝8時に外に出たりもしたが、夜うまく眠れないこともあり困難になった。1子の便通がかなり心配であったが、いやもうどうしようもなかった。猛暑日翌日は胎盤剥離リスクが高まるとも知り、期日前投票すら行くタイミングを思いあぐねた。もし予定日が8月とかで、外に出られない日がもっと続いたかと思うと、7月上旬に済んでよかったな……と思う。

日記

2025年7月13日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

2025年7月13日
12日中に何とか立って歩くものの、夕方に無理をして2子の面倒を見たせいか、腹部の痛みが強くなりテンションががた落ちしたまま13日中を過ごす。夫が面会に来てくれた15時前後から21時台まで2子と同室で過ごす。
確かに、1子の時よりはまだ落ち着いている。LINEを振り返るに、1子の時はこのあたり(3日目)でメンタルがかなり崩れており、夫がナースステーションに連絡を入れてくれている。

日記

■蝉野芥子

月影の鎖とpkmnが大好き。好きなキャラを軸に乙女ゲーム的関係性を思索するのが好き。家族(二親等内)も大事。lit.link