カテゴリ「小声」に属する投稿[99件](19ページ目)
ひとりごと
他者から承認をもらえれば、「正しい」気がする。自分の考えを「肯定」されたような気がする。自分と違う考えを見ると自分の考えを「否定」されたような心地になり拒否反応を催す。私とは違うのだ、で、おしまいにすればいいはずなのに。
自分の過ちや不正解を知らされると欠けたような気持ちになる。過ちとは一体何なのだろう。それは果たして私を削ぐものなのか?
自分が思ったことを言うのは、果たして他者に肯定されたいためなのか?自分の正しさを他人に依拠するためなのか?
私は誰かに肯定されたくてネットを見ているのだろうか。
(それはそれとして、やはり私の外にあるべき公共の倫理はあるとも思う)
自分の過ちや不正解を知らされると欠けたような気持ちになる。過ちとは一体何なのだろう。それは果たして私を削ぐものなのか?
自分が思ったことを言うのは、果たして他者に肯定されたいためなのか?自分の正しさを他人に依拠するためなのか?
私は誰かに肯定されたくてネットを見ているのだろうか。
(それはそれとして、やはり私の外にあるべき公共の倫理はあるとも思う)
ひとりごと
月影の鎖は他に見たことないコンテンツだからすっごく好きなんだと思う。では、「既知」であるコンテンツに触れたとき、何を以て楽しめるかと考えると、自分の中の嗜好にハマるかどうかかな、と思う。
という仮定のもと水戸黄門の“お約束”を思う。分かりやすい勧善懲悪が、かつては好きだったということだろうか。そして番組がなくなったのは、価値観の多様化についていけなかった、ということなのだろうか?
私は何故ジャックジャンヌをやってるんだろう?
という仮定のもと水戸黄門の“お約束”を思う。分かりやすい勧善懲悪が、かつては好きだったということだろうか。そして番組がなくなったのは、価値観の多様化についていけなかった、ということなのだろうか?
私は何故ジャックジャンヌをやってるんだろう?
ひとりごと
私、何かをやってて楽しいと思ったこと、あんまり無いのかもしれない。そして、楽しいと思っても、楽しかったことはすぐに忘れて、傷ついたことや苦しかったことばかり覚えている。
死んだほうがいいのかもしれないな。
死んだほうがいいのかもしれないな。
ひとりごと
子育て中友人の、非異性愛マイノリティに対する「(人口を増やさない存在なのだから)わきまえてほしい」という旨の発言は率直にいやだったなあ。
というか、他人に対する「わきまえろ」という概念そのものがきらいなのかもしれない。
社会に対する貢献度で以て発言の自由度が決まるとして、社会への貢献って出産子育てに限らずさまざまな形があるはずだし、国に対する都合良さ(社会貢献度)で他者の生き方をはかって「わきまえよ」ということは、優生思想の一端ではないかと思う。
私は、優生思想には加担できないし、したくない。
それはそれとして、思想の異なる友人というのは大事である。思想が異ならずとも大事な友人だけど。ただ私がコミュ力不足なので、思想が異なると対話のやり方が難しい。この辺は夫のほうが強そうなので、夫に聞こう。
というか、他人に対する「わきまえろ」という概念そのものがきらいなのかもしれない。
社会に対する貢献度で以て発言の自由度が決まるとして、社会への貢献って出産子育てに限らずさまざまな形があるはずだし、国に対する都合良さ(社会貢献度)で他者の生き方をはかって「わきまえよ」ということは、優生思想の一端ではないかと思う。
私は、優生思想には加担できないし、したくない。
それはそれとして、思想の異なる友人というのは大事である。思想が異ならずとも大事な友人だけど。ただ私がコミュ力不足なので、思想が異なると対話のやり方が難しい。この辺は夫のほうが強そうなので、夫に聞こう。
「好き」が排除を伴うときもたぶんある。正しい人を好きじゃないお前はおかしい、というときとか。
それはそれとして、「嫌い」に否定と排除を想起する人が多いのは事実である。何故なら「嫌い」という言葉を、否定と排除を付随させて使う人が多いからだ。
故に、「嫌い」を表明する際、排除を意図しない場合は、恐らく言葉を尽くす必要がある。