ひとりごと 行動として否定されたり排除されたりしていないとき、否定と排除を勝手に読み取らない(仮定しない)、ある種の鈍感さ、強さと健やかさを要するのかもしれない。そして健やかな人って否定と排除を基本的に想定していないのかもしれない!私は幼少時から排除を含んだ「嫌い」を言われることが多かったので、他人に否定と排除を想定してしまう癖がついてるのかもしれない。 2024.3.24(Sun) 18:34 小声
ひとりごと 「嫌い」という感情と、否定をする・排除をするという行動は、行動の動機になりやすいから混同されがちだが、別である。嫌悪は必ずしも否定と排除を伴わない。させてはならないとも言える。「好き」が排除を伴うときもたぶんある。正しい人を好きじゃないお前はおかしい、というときとか。それはそれとして、「嫌い」に否定と排除を想起する人が多いのは事実である。何故なら「嫌い」という言葉を、否定と排除を付随させて使う人が多いからだ。故に、「嫌い」を表明する際、排除を意図しない場合は、恐らく言葉を尽くす必要がある。 2024.3.24(Sun) 18:13 小声
ひとりごと 他者から承認をもらえれば、「正しい」気がする。自分の考えを「肯定」されたような気がする。自分と違う考えを見ると自分の考えを「否定」されたような心地になり拒否反応を催す。私とは違うのだ、で、おしまいにすればいいはずなのに。自分の過ちや不正解を知らされると欠けたような気持ちになる。過ちとは一体何なのだろう。それは果たして私を削ぐものなのか?自分が思ったことを言うのは、果たして他者に肯定されたいためなのか?自分の正しさを他人に依拠するためなのか?私は誰かに肯定されたくてネットを見ているのだろうか。(それはそれとして、やはり私の外にあるべき公共の倫理はあるとも思う) 2024.3.24(Sun) 17:37 小声